ミッドフォー採用サイト

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HISTORY

ミッドフォー30年のあゆみ

ミッドフォー30年のあゆみ

ミッドフォーは創業から30年の歴史があります。
千坂社長に30年の歩みを振り返っていただきました。

1987

創業

輸入中古車販売を中心とした「カーブティック ミッドフォー」として創業。

ミッドフォー30年のあゆみ

ミッドフォー30年のあゆみミッドフォーは、輸入車の販売を営む「カーブティック ミッドフォー」として創業しました。私が31歳の時のことです。「ミッドフォー」の由来は、当時に日産から発表されていたコンセプトカー「ミッド4」から名付けました。エンジンが車体の真ん中にある車をミッドシップカーというんですが、この中心となるエンジンとタイヤ4本のバランスのように、我々もバランスよく事業も成長させていきたいという想いも込めて名付けました。
創業地は、現在auショップのある山口市平川でした。当時、山口にはまだ輸入中古車の販売店がなかったこともあって、比較的順調に販売は推移することができました。車の仕入れは関東方面を中心に行なっていました。お客様の要望の車種があれば、全国を探して回ったり…。苦労はありましたけど、大好きだった車に関わる仕事でしたし、気の合う仲間と少しずつ会社が成長していることを実感できたりして、とにかく毎日が充実していて楽しかったですね。
1991

有限会社ミッドフォー設立〜携帯電話の取扱開始

・「有限会社ミッドフォー」を設立、中国セルラー株式会社(現KDDI株式会社)と代理店契約を結ぶ。
・中国セルラー販売店の営業開始。

「カーブティック ミッドフォー」を開店して4年が経過した1991年に、会社を法人化して「有限会社ミッドフォー」を設立しました。きっかけは、現在のミッドフォーの主軸事業でもある通信事業(携帯電話関連事業)をスタートし、中国セルラー株式会社(現在のKDDI株式会社)と代理店契約を結んだことです。
自動車販売業の我々が、なぜ携帯電話の販売をなぜ始めたのか?というと、当時は、自動車電話が主流だったんです。輸入車のオーナーさんから自動車電話を取り付けて欲しいという依頼が結構ありました。それなら、自分たちで販売しようというのがきっかけです。
最初は、まさかこんなに携帯電話が普及したり、のちに我々の主軸事業が通信事業になるとは思ってもみなかったんですが、不思議なもので、通信事業との出会いはお客様の要望だったんです。のちのちの事業展開にも共通していますが、我々がやってきた事業はこうして全てつながりがあるんですよ。通信事業をスタートして1年後、徐々に個人向けの携帯電話が普及し始めたこともあり、山口の商店街の中に第1号となる「セルラースポット山口中央店」をオープンしました。
当時は、まだ個人が購入するには携帯電話は高額商品だったため、契約はほぼリース契約で、法人関係のお客様が多かったですね。個人利用では、ポケットベルが全盛の時代でしたから。
ただ、近い将来、誰もが携帯電話を持つ時代が来ることは感じていました。それだけ携帯電話の利便性は、それまでにないくらい素晴らしいものでした。そんな理由もあって、事業の主軸は、自動車販売から通信事業へとシフトしていきました。
1996

「株式会社ミッドフォー」へ組織変更

2001

「カスタムカーショップPARADOX」をオープン

・ミッドフォーのルーツである自動車関連事業を、カスタム&オーディオショップとしてスタート。
・初の海外事業への挑戦。中国青島でカーコーティング事業を展開する。

ミッドフォー30年のあゆみ通信事業が急速に拡大していった影響で、一時停滞していた自動車関連事業を見直して、2001年に「カスタムカーショップPARADOX」を山口市大内御堀にオープンしました。創業から続く輸入車をご購入いただいたお客様へのサービスをしたいという想いを実現できるショップを作りたかったんです。当時は、カーオーディオのニーズも高かったので、それならと車好きのお客様が望む世界で一台のカスタムカーを作り、カーオーディオもセットでお応えしようと専門性の高いスタッフを集めてスタートしました。

また、その勢いで中国市場にも目を向け、初の海外進出に挑戦しました。当時の中国は経済成長の真っ只中で、高級車が飛ぶように売れていましたから、我々のビジネスチャンスも眠っているのではと期待に胸を膨らませての挑戦でした。
事業としては、車のコーティングです。現地のカーディーラーと提携して、高級車にコーティングを施すサービスを展開しました。中国の青島で20名ほど採用して、提携したディーラーに間借りする形で6店舗を構えました。
事業そのものは順調でしたが、私自身、日本での通信事業が忙しく目が行き届かないこともあり、最終的には3年で現地の会社に事業譲渡を行い撤退しました。しかし、行動を起こせたことで一歩前に出ることができましたし、世界を見て景色が変わったことは財産だと感じています。

2002

ホームシアター&輸入家具事業をスタート

・大画面&薄型テレビの普及に伴い、ホームシアター事業を開始
・デザイナーズ家具の復刻版「リプロダクト家具」の輸入販売を開始

ミッドフォー30年のあゆみパラドックスでカーオーディオ販売をスタートしたこともあり、「パラドックスシアター」と名付けてホームオーディオ事業も開始しました。ちょうど薄型&大型テレビが登場した時代で、壁掛け型などインテリアとしてのテレビに注目が集まっていました。当時は、1インチが2万円くらいしていましたから50インチだと100万円もする時代でしたね。我々は、住宅メーカーとタイアップを行い、マイホームを新築される方に、ホームシアタールームを提案する戦略を採用しました。その後、量販店の低価格商品の発売もあって、事業は撤退しましたが、シアタールームの施工や配線技術、住宅メーカーとのパイプ作りが財産となり、のちのセキュリティ事業の成功につながることになります。
2004

飲食事業進出!「手打ちうどん讃岐弘法」をオープン

・山口市「ボウリングの森」敷地内に、「手打ちうどん讃岐弘法」をオープン

ミッドフォー30年のあゆみ2004年、auショップのフランチャイズをして頂いているオーナーからの情報もあって、飲食事業に進出することにしました。飲食事業はかねてからの私の願いでもあり、会社としても新たなチャレンジの必要な時期でもあったため、進出の決断をしました。
当時、さぬきうどんがブームになり、全国各地へ出店されていました。フランチャイズという選択肢もあったのですが、我々はオリジナルにこだわり、独自の店舗展開をしていくことを決めました。店内で製麺できる機械の導入など味にこだわったため、多店舗展開はできませんでしたが、本格的なさぬきうどんを山口の皆様に提供し、開店以来多くのお客様にご愛顧いただくことができました。
現在は、店舗を譲渡したため、ミッドフォーの傘下からは外れていますが、山口のうどん文化を支える一翼を担ったのではないかと思っています。
2006

セキュリティ事業をスタート

・綜合警備保障株式会社の警備機器取付工事業を開始

ミッドフォー30年のあゆみホームシアター事業を展開する中で、信頼を構築できたダイワハウス様からの紹介がきっかけでセキュリティ事業を開始しました。
綜合警備保障株式会社(ALSOK)の機械警備の機器取付を行う工事業を開始したんですが、ホームシアターの設備工事を行ってきた弊社の技術スタッフたちは高い工事技術を持っており、新しい業務としてスムーズに対応してくれました。
これも世の中のセキュリティ意識の高まりに伴い、事業は順調に推移し、2年後の2008年には福岡営業所を開設することができました。その後、2011年に北九州営業所、2012年に広島営業所を開設、2014年には、現地の有力企業とM&Aを行い名古屋支店を開設しました。2017年には関西支店も開設し、今後は、関東への進出を計画しています。
セキュリティ事業は、(中国への海外進出を除き)ミッドフォーとして初の全国展開事業となっており、社内で今、一番元気な部署でもあります。私としては、各地の支店・営業所とのコミュニケーションをいかに図っていくかが課題ですが、月に一回は定例の責任者会議を行っており、情報や意識の共有に努めています。
2010

本社を山口市大内長野に新築移転

ミッドフォー30年のあゆみ2010年に、私の長年の夢であった本社を新築移転しました。会社の規模や人数が増えるにつれ、会議を行うにも以前の本社にはスペースもなく、その都度、会議ができる場所を借りていたので、本社内に大きな会議室を作りたかったこと、また、多角的な事業展開をサポートしていく本社機能を充実させることができました。
建物のデザインもこだわりたかったので、地元の建設会社を通じて福岡の建築デザイナーに依頼しました。私の要望もたくさん取り入れていただき、想像以上の本社が完成しました。山口にはなかなかない建築物だといろんな方々からも評価をいただき満足しています。
ここから新たなミッドフォーの歴史を積み重ねていこうと考えています。
2012

飲食事業「モッチモ・パスタ山口湯田店」をオープン

・2015年には「モッチモ・パスタゆめタウン山口店」をオープン。

ミッドフォー30年のあゆみ2012年、弊社では2つ目の飲食事業として、「モッチモ・パスタ山口湯田店」をオープンしました。1つ目の「讃岐弘法」ではオリジナル店舗にこだわりましたが、今回はフランチャイズ店舗を取り入れることにしました。これもauのフランチャイズをやっていただいているオーナーの紹介だったんですが、味もさることながらCX(顧客体験価値)やCS(顧客満足度)の高いパスタ店があるという情報をいただき調査に入りました。調べてみると確かに接客が素晴らしいと。この接客を実現する教育制度は、飲食事業だけでなく弊社の通信事業にも応用できると思い、フランチャイズ化を決断しました。
実際に店舗運営を行ったのは、弊社の常務です。初めての経験で苦労も多かったとは思いますが、山口では接客がよく、顧客満足度も高い店として認知も広がったと思います。
その後、2015年に2号店をゆめタウン山口内にオープンしました。ここは、結果的に1年半で閉店したんですが、人口の多くない山口市内に2店舗を共存させることの難しさを実感しました。あとは、人材確保が大変でした。売上はまずまずでしたし、これからという時期でもありましたが、先を見据えて苦渋の決断を行いました。
2017

通信事業「UQスポットゆめタウン山口」をオープン

ミッドフォー30年のあゆみ2017年、山口県央部では初となるUQスポットを、ゆめタウン山口内にオープンしました。テレビCMなどメディアでも話題の格安スマホが契約できる待望の店舗で、オープン当初から多数のお客さまにご来店いただいています。
携帯電話事業も26年の歴史を重ね、お客様のニーズも多様化してきましたので、それぞれの生活シーンにあった提案をしていける体制づくりを進めたいと思っています。またauショップでは、携帯電話だけでなく、電気やインターネット、クレジットなどお客様の生活に密着した商材をご用意できるようになりましたので、今後は私たちの事業もさらに幅広いものになると思います。

ミッドフォーの30年を振り返って

ミッドフォー30年のあゆみ
 ミッドフォーの歴史を振り返ってみると、「つながり」の歴史だと改めて感じます。人と人とのつながり、事業と事業のつながりによって、我々は30年という時間の中で、様々な事業にチャレンジすることができ、会社としての厚みを増すことができました。
中には、失敗した事業もありますが、それらもミッドフォーを形作る要素として、確かな礎となっていると思います。
 これからのミッドフォーは、50周年を目指して第2ステージに突入していきます。その力となるのが、今、活躍してくれている若い世代の社員、そしてこれからミッドフォーに入社してくれる皆さんの力です。
 いつまでも、人と人とのつながりを大切に、一歩一歩成長して地域に貢献できる企業を目指したいと思います。